街に賑わいは不要になる

コロナ後の世界。

今回のコロナ禍で世界は大きく変わると思う。

ただ、どう変わるのか?と問われると、はっきりとは分からない。

この一つ前の記事で書いたのは、平常時の強みは非常時の弱み、になるということ。

では、平常時に栄えたもの(強み)は非常時には衰退するもの(弱み)とも考えられる。

平常時に栄えたものって何だろう?

ここからは頭の中に思い浮かんだ事をつらつらメモっていくので、いつも以上にまとまりのない文章になるかもしれない。

さてさて。ここ数年を平常時とすれば、ここ数年で叫ばれるようになった事として、モノが 余り人々はモノにお金をかけるのではなく体験にお金をかけるようになった、というもの。

欲しいモノがない、それより心に残るモノを欲しい、そんな傾向があるように思う。

だからこそ、ディズニーランドが繁盛するのであり、様々イベントにお金を出して参加するのだと思う。

自分の心が喜ぶことや自分自身への投資にお金をかけるようになってきた、ということか。

だから、まちに賑わいを産むため、道路や公園をイベント会場にする施策が自治体からどんどん発表されている。

事実、おおもとの国交省もパークPFIであったり、ウォーカブルな道づくりといった方針をどんどん出している。

これらは、基本的に人が集まるイベント的なもの。

そのため、今回のコロナ禍で御法度とされている3密、いわゆる密集、密閉、密接のうち、密集と密接が当てはまってしまう。

これらのイベントはインフラとしての道路や公園がお膳立てするわけだが、その上に民間事業者が採算性を考えて進出してくれなければ成り立たない。

しかし、今回のコロナ禍、いつまで続くのか?

毎年来るの?

変異して何年も来るの?

新手のウィルスがすぐに来るの?

と皆が恐れ始めると、さらに成り立たない。

もうまちに賑わいは必要なくなるのか?

これまで、平常時は強みとされた、まちの賑わいが今、弱みとなってしまっている。

劇団四季も宝塚のような演劇もダメ。

オリンピックということもあり、各地でスポーツを通したまちづくり、ということでアリーナ建設が進められているが、それだって3密。

飲み会も三密。最近は飲み会ないのに慣れてきた。

自粛疲れが勝つか、自粛慣れが勝つか。

自粛慣れが勝った後の世界は、これまでとは違う世界になるのは確実。

さてさて、これからどうなるのか。

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