道路というインフラ 2/2回目

今日は先回のブログに引き続き、道路についてのメモとなる。

先回は少し悲観的なことを書いたので、今日は少し前向きなところに目を向けてみる。

未来の社会をイメージした時に、道路はどのような使われ方をしているのか、という視点で書くことにする。

 

まず、道路の一義的な目的は交通処理である。

これは今も昔も変わらない。

全ての道はローマに通ずるでお馴染みの人、モノの移動は、古今東西、道路を使ってなされてきた。

鉄道や飛行機、海運などもあるが、メインは道路だろう。

 

その他の機能としては、インフラ施設収容機能。

これは下水管や水道管、ガス管、電線共同溝、地下鉄などの施設の収容スペースという意味。

街区形成機能という機能もある。

ほかにも災害時のゴミ置き場にもなるし、火災の延焼防止機能もある。

歩行者天国やオープンカフェのような使い方も随分と柔軟になってきた。

 

それでも、やはり交通処理機能が筆頭にくる。

道路整備の歴史を先回のブログでも書いたが、戦後のモータリゼーションの波に合わせて整備されているので、当然に整備の思想は交通処理能力の最大化を図ったものになっている。

それが戦後の日本の経済発展に必要とされてきたのだから、整備のあり方としても正しかったのだろう。

 

 

さて、現代においても道路は交通処理能力の最大化が筆頭なのか。

難しいところだけど、今でも交通処理を最重要に考えるべき、と言うのは変わらない。

ただ、ウェートが変わってきた、といったところではないか。

 

 

ウェートが変わってきたというのは、人々の価値観が変わってきた、ということに起因する。

なんと書けば良いのか難しいが、人々が経済成長をそんなに望んでいない・・・というか。

金持ちになるよりも、幸せに暮らせればそれで良い、という人が増えてきているという感覚。

幸せの定義は人それぞれになるが、基本的には、体を酷使して神経をすり減らして超エリートになるよりも、そう贅沢はしないから、金のかからない趣味を持って、死ぬに困らない暮らしが送れたらそれで満足、という感じではないだろうか。

そんな価値観で、この人口減少社会の日本でやっていけるかどうかは知らない。それはまた別の話。

 

これまでの一億総中流という世界的にみても稀な国家において、これから始まる日本の低空飛行の未来は分からない。

ただ、現代人の多くは、モーレツ社員、社畜になる道を選んでいない。

だから、オープンカーが流行らないし、高級なスーツも売れない、スキーのような金のかかる趣味も持たない、食べ物だってスシローで十分、となる。

 

 

だいぶ、話がそれたけど、道路の目的も経済成長ありきではない。

とにかく物流第一ではない。

道路上のオープンカフェでコーヒーを飲んでくつろぎたい。

美しい街路樹の下でジョギングをして汗を流したい。

道路上で音楽などのライブを見ながら、酒を飲んで盛り上がりたい。

渋滞は嫌だな。

もちろん、交通事故などまっぴら御免。

 

きっと道路についての価値観も上のようなものになるはず。

どれもお金がかからず楽しめるもの。

物流オンリーとは相反する機能が求められている。

危ないから道路で遊んではいけません、これが昭和の価値観。

 

 

道路は公共のもの。

もしも皆んながそれを望むなら叶えて上げれば良いのでは。

道路上では、沿線の喫茶店がテーブルとパラソルを出して、休日はコーヒータイム。

渋滞はないので空気も綺麗。

ランニングぐらいのスポーツなら自由にできる空間が広がっている。

交通安全対策は完璧で、酒を飲んではしゃいでも大丈夫。

 

 

これらを可能とするためには、広い歩道が必要となる。

とても広い歩道が。

今の交通状況では歩道をそこまで広げることは難しい・・・

都市計画道路を作る時は、交通シュミレーションを行なって計算に基づいて路線を決めている。

都市計画審議会で決定された事項を変更するなんて不可能だ。

本当だろうか?

いやいや、京都の四条通では片側2車線道路を2車線も削ったものの、渋滞は起こらなかった。

補足すると、改良工事直後はひどい渋滞だったそうだが、皆が渋滞を嫌い、ルートを変えたり、車から地下鉄に変えたりと、結果として現在は渋滞は起こっていない、という。

人間は考えながら行動するので激混みの道路は避けるに決まっている。

過疎地で車以外に移動手段がない場所以外なら。

 

 

だから、これからの道路整備は歩道の超広幅員化だと思われる。

道路整備だけでなく、メンテナンスをするときに、単純に舗装を剥がして舗設する、ではなくて、歩車道境界の位置を変えていくことが、未来の道路に求められていると思う。

では渋滞はどうするのか?

先回のブログでも日本人の渋滞損失について話したばかりだろ、と言われそう。

日本人は運転時間の4割が渋滞に捕まっており、日本人全体では50億時間という損失時間が発生しており、労働力に換算すると300万人分になる、とブログで書いたばかり。

 

 

しかし、渋滞対策は必要だが、必要以上に恐れることはないとも思える。

なぜなら、今後、通勤は減ると思われるから。

これは人口減少もあるが、コロナ禍が終わっても在宅勤務は一定数は残ると思われる。

人口減少のデータでは、20年後には、総人口は12%ほど減少すると言われている。

それも働き盛りの人口減少が大きい。

ほかにも、MAASにより移動手段の多様化が起こる。

MAASが進めばマイカーを待たなくても便利なモビリティーサービスを受けることができる。

こちらも、MAASの市場規模が20年後には、7倍程度に増加する想定されてている。

これらのことから、渋滞対策を一定進めていけば、車線を削って歩道を拡幅する余地は残っている。

 

歩道を広げておけば良いことはたくさんある。

例えば、ウーバーイーツのような自動運搬配達ロボットが通る空間も確保できるかもしれない。

今のような道路状況では、いくらAI搭載の優秀なロボット車も、人とぶつかってしまって歩けない。

新しい技術を活用できない道路は、やはりだめだろう。

 

 

現在は、自転車だって彷徨っている。

歩道を走行したら歩行者にとって危険と怒られ、車道を走行すればトラックに巻き込まれる事故が後を立たない。

広く、しっかりと歩行者と分離された空間を通行すれば自転車も安全になる。

そんな空間ならば、、自動配達ロボットだけでなく、日本ではなかなか解禁されない電動機付きスケーターも安全に運転できるかもしれない。

 

 

これからの道路整備、または道路改良工事の肝は、歩道の超拡幅化ではないだろうか。

 

言ってしまえば、車道は車が通行する機能しか持たせられないのである。

歩道なら、何にでも応用できるのである。

これからどのような新技術が生まれるのか想像ができない。

想像ができないからこそ、どんなサービスも受け入れられるようなスペースが必要となる。

そうなると、車道では使い勝手が悪く、どうしても歩道に軍配が上がってくる。

 

 

人口減少社会においては、新たな道路を整備するメリットが小さくなる。

ゼロとは言わないが、費用対効果が小さいと言っている。

とはいえ、建設業の就業者は保持しなければならない。

なぜなら、これから襲い掛かる既存施設の老朽化に対抗するため。

また、巨大地震時の災害復旧工事にあたるため。

さらには、道路の利権と繋がってきた人たちのため。

 

 

だから、無駄にはならない、経済を発展させ、人々に充足感を与えられるようなインフラ整備が望まれる。

今日のブログは少し前向きなことを書こうと思い、未来の社会像をイメージしながら、どのような道路整備を行えば良いのかを考えながら書いてみた。

まあ、こんなものだろう。

 

次回は、河川施設について書こうと思う。

 

 

 

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