建設業は不要不急な産業か(砂防)

不要不急のお出かけは止めましょう。

 

最近、よく耳にするこの言葉、不要不急。

一体、どういう意味なんだろう。

言葉どおり捉えると、必要のないもの、急がないもの、となる。

この「必要のないもの」と」「急がないもの」は、または、なのか、かつ、なのか。

どっちでも良いけど、必要のないものとは何だろう。

必要なものってのは、人それぞれ違う。

 

今日、ネットでアパレル産業が瀕死の状態にある、との記事をみた。

その理由も書かれていて、しごく納得する内容だった。

その理由とは、不要不急のお出かけはやめましょう、となったことで、外着がいらなくなった、というもの。

それに関連して、アクセサリーや化粧品、靴なども同様らしい。

 

 

不要なものって何だろう。

人によっては書物が必要な人もいるだろう。

活字中毒みたいな人。

もちろん、お酒がないとやってられない人もいる。

この人らには書物やお酒は必要なものとなる。

 

無くても死なないものが不要なのか?

ゲートボールで友達に会うのが唯一の楽しみの独居老人。

きっと、ゲートボールをしないことで死に至る病を発病する可能性がある。

この老人にとってゲートボールは必要なものとなる。

だから、そう不要なもの、というのは、その人にとって変わってくる、ということ。

 

アフターコロナでは不要な産業は生き残れない、と書かれていた記事を最近見た。

 

でも、いったい不要な産業とは何ですか?

アパレル産業は不要なんですか?

そして、建設業は不要な産業にあたるんですか?

 

最低限、生き残るために必要なこと・・・

たとえば、アパレルでもオシャレをするための洋服は不要?

普段着や作業着は必要?

 

と、考えると、建設業でも不要と必要が混ざっている?

賑わいづくりのような建設は不要だけど、災害復旧工事は必要?

本当か?

 

 

不要な産業に建設業はあたるのか?

そんなことを考えながら、スマホをさわっていたら、こんな記事を見つけた。

 

 

ネット記事によると、感染症指定医療機関の3割が大規模洪水で浸水する、とのこと。

記事では千年の一度の大洪水の場合とある。

読者からのコメント欄を見てみると、コロナで皆が不安になってる時に、千年に一度のことで不安を煽るな、との意見が多数。

まあ、ぼくも同様の印象を受けた。

 

 

この記事から何を伝えたかったんだろうか?

どう国民の意識を変え、誰に対して、どのような行動をとってほしいのか?

国交省の水管理・国土保全局の職員に見てほしいのか?

ん~、これがどのくらいの効果があるんだろう?

水管理・国土保全局長あたりが新聞を見て、これは大変だー、となって部下に新たな指示が出るのかな?

たぶん、ないな(分からないけど)

 

 

それはそれとして、日本では洪水により毎年のように被害が出ている。

だから、このネット記事が嘘だとは全然思わない。

それは日本という国土に関係していて、洪水が起こりやすい国なのである。

理由を簡単に言ってしまえば、河川の流れが急、ということ。

 

 

近年でも、死者の出る洪水は頻発している。

平成30年西日本豪雨では死者数が200名を超えている。

それに、豪雨関係の災害は洪水だけじゃない。

平成26年8月豪雨、このときは広島で土砂災害が発生した。

死者も80名近くに上り、ぼくもテレビの中継映像が記憶に焼き付けられている。

この時も「砂防ダムさえ整備されていれば」とのテレビ報道を見た記憶がある。

日本では、東日本大震災や阪神淡路大震災を除けば、自然災害の死者の1/3は土砂災害らしい。

 

 

洪水というのは、外水氾濫ともよばれ、河川の水が住宅地に流れ込むことをいう。

土砂災害も洪水の仲間のようなものだけど、山の斜面を下ってくる土石流を伴ってくるので、恐怖心はかなりのものになる。

少し、土砂災害についてメモってみたい。

 

 

まず、雨が降ると川の水が濁る。

この理由は、上流の山や渓岸が浸食されて、土が流れ出るから。

何で浸食されるかというと、河川を流れる水の流れが速くなりすぎるから。

そこで土木工事が発注される。

対策工事としては、流れる水の速さを緩めてやればよいわけで、それには、河床勾配を緩めてやれば良い

床固工というのは、そのための工作物である。

 

 

床固工のイメージを簡単に説明すると

滑り台を階段状にすることで、水の流れを段々にする。

滑り台を流れ落ちる水はかなりのスピードで落ちる。

でも、横断歩道橋の階段部分を流れ落ちる水のスピードはそんなに速くない。

同じ勾配でも、段々になっていることでスピードが殺される。

これが床固工の基本的な原理。

なので、床固工は床固工群というように何基も作ると特に効果を発揮する。

 

 

次に砂防えん堤。

砂防えん堤、いわゆる砂防ダムは、床固工と形状は似ている。

違いとしては、まずその大きさ。

砂防えん堤の方が床固工より大きい。

目的も床固工よりも砂防えん堤は多様になる。

床固工が河床勾配を緩やかにして、山腹の浸食を防ぐのを主な目的にしているのに対し、砂防えん堤は、河床勾配を緩やかにして、山腹の浸食を防ぐのはもちろん。土石流の防止などもある。

さらに、流出土砂の量を調整する機能などもある。

 

 

こうした砂防施設は、不要な整備ではない。

どう考えても必要な整備だと思う。

広島の土砂災害も砂防施設がより整備されていれば防げた部分もあったと思う。

 

 

もっとも、最近はハザードマップ上で危険な地域には住まわない、という方針になりつつあって、それはそれで正しい選択だと思う。

ただ、全てそのように引っ越せるわけでもなく、そこはバランスが必要だと思う。

でも、このようなインフラ施設が無駄と、もし思われるとしたら。建設業に身をおく者として、心外な気持ちになるだろう。

 

ただ、財務省は言う。

社会資本整備は概成しつつある、と。

矛盾して聞こえるかもしれないけど、この考えって、ごく普通だとぼくも思う。

 

 

なぜかって、確かに今日見てきた砂防施設、これらを整備したことによって、人々が安全に暮らせるようになったことは間違いない。

戦後、こういった整備によって都市が発展してきたことを考えれば、社会資本整備の費用対効果は莫大なものがあったと思う。

1000億円の整備費用で1兆円の経済効果、みたいなもの。

 

 

簡単に説明してみる。

川で分断された2つの街があるとする。

この街をつなぐ為に橋を1本架けた。

これによって、生まれる経済効果はとんでもないことになるだろう。

これまで交流できなかった街と交流ができるようになったのだから。

自分の街には無かった材料が隣街では手に入るかもしれない。

自分の街でたくさん採れる果物が隣街にはなくて高い値段で買ってくれるかもしれない。

街がつながる経済効果はすごいだろう。

調子に乗って、2本目も架けた。

それでも、これまでは1本の橋で渋滞で効率が悪かったところだったので、やはり経済効果を発揮するだろう。

さらに調子に乗って、3本、4本と架けた。

でも、4本目の橋は、あんまり使われることはなかった。

3本目は100臆円で橋をかけたところ経済効果は100臆だったけど、4本目も100臆円かかったのに、あまり使われず、経済効果は30臆円にしかならなかった。

もう橋は要らないよ。これからは橋のメンテだけにしなよ。

この理屈が財務省である。

すごく分かりやすい。

ストック効果が下がっている、ということ。

 

 

これに対し、国交省や土木学会は言う。

ストック効果だけでなく、公共事業にはフロー効果があるのだ、と。

政府から民に資金を受け渡すことになる公共事業に、極論すれば無駄な事業なんてものはない。

工事が発注されれば、そこから雇用を生まれ、それが新たな消費を生み、経済が回っていくのだ、という理屈。

また、先進国と比べれば、まだまだ高速道路の整備率は低い、とかGDPに占める公共事業予算の割合が唯一下がっているのは日本だけだ、とか。

もちろん、国交省はストック効果についても、論じている。

ストック効果の最大化を目指した整備をしていく、と。

 

きっと、正解は分からないんじゃないかと思う。

正確に言うと、正解はきっとあると思う。

でも、その瞬間の置かれた状況によって、すぐにその正解というのが変わってしまう。

不変の正解というのはないと思っている。

 

 

でも、財務省とこんな平行線の戦いをずっとされてたら、たまらない。

何とか、折り合いのつくところはないのだろうか。

 

 

しばらくは、建設業の必要不要論について、メモっていきたい。

 

 

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