書評「クルマを捨ててこそ地方は甦る」の感想

初めてブックレビューを書いてみる。

 

『クルマを捨ててこそ地方は甦る』

著者:藤井聡、発行:PHP研究所

 

速読ができないぼくでも2時間くらいで読めた。

これを読んで、つい先日、山口県防府天満宮のシェアドスペースについて、批判的なブログを書いたことを少し反省。

 

本書の内容を簡単に伝えつつ、ぼくの考えをメモっていく。

 

 

 

第1章

・人は賑わいが本能的に好きだということ

・クルマとすれ違う道では、人は潜在的にストレスを感じる、というデータがあること

・歩行者天国は人を笑顔にする、というデータがある。歩行者天国は人が並んで歩ける、つまり自由に歩ける状態になる

 

ぼくはこの3つに感心した。

確かにクルマとすれ違うとき、人はストレスを感じているかもしれない。大きな危険なものが近くを通れば、身に危険を感じるからである。

でも、これが当たり前になっていてストレスがあることに気づいていない・・・諦めている。

でも、歩行者天国では、そのストレスがないばかりか、自由に動ける、これは、それだけで嬉しいもの、心地良いものになる。

心地良いところには人が集まる。

そして、人は賑わっているところが好きだから、人がさらに集まるというスパイラルが起きる。

ここで、ぼくが思ったのは、きっと、ヒトが集まる事が好きなのは、ヒトがこの地球上で覇権を握った過程からみて、自然だなと思った。

ヒトは進化の過程で、より集団化することで、他の集団を駆逐していった、という生物学的な歴史から、集まる事が好きなのは、DNAに組み込まれている感情なのだと思う。

逆説的にいえば、集まることが好きだったホモサピエンスが同族種族のホモ属のなかで、勝ち抜くことができた。

その子孫が我々だから、当然の帰結として、人の集まりが好きで、賑わいが好きで、歩行者天国が好きで、だから人が集っまって・・・のスパイラル。

ここまでは書かれていなかったけど、この章で書かれていることは、とても論理的で納得させられた。

 

 

 

第2章

・クルマ社会により、郊外に大型ショッピングセンターができて駅前や街の中心部がシャッター街化した

・東京に本店を置く大型ショッピングセンターにより税の搾取効果が発動され、地域マネーが東京に吸い取られ、地域経済が衰退した

・郊外が発展して中心部が廃れることに伴い、公共交通が衰退した

・中心部が廃れることで地域コミュニティが崩壊した

・地域経済が衰退し、公共交通が赤字化したことで、行政支出が増えて、行政サービスのレベルが下がった

・地域経済が衰退することで、街の魅力がなくなり、雇用がなくなり、結果として人口流出がおきた

 

 

この章を読んで、論理だてて説明してあるなぁと、感動した。

しかし、一方で諦めにも似た感情も沸き起こった。

ぼくは今、日用品は別として、休日などに大きな買い物をするときは郊外のイオンで買い物をするからだ。

近くのブティックのような店では洋服は値段が高くって買えないし、品ぞろえが全然違う。

イオンモールは、やはり効率的だから、これに対抗する手段はないのではないか、と思ってしまう。

地域経済が衰退するからといって、わざわざ高い商品を買うほど裕福ではない。

日々の生活が苦しい中、ボランティア精神を発揮して、品ぞろえの悪く値段の高い地域の商店街から購入しようという気にはなれない。

やっぱりイオンモールは圧倒的に便利で安いから。

でも、その結果、自分たちの首を絞めている。

でも、誰も止められない。

なんか、抜け出せないこの世の残酷な仕組みを感じた。

 

 

第3章

・京都の四条通では、歩道3.5mから6mに。車道15mから9mに再配分工事を行った

・これにより4割の通過交通が減ったが、その消滅交通は、他の道路に迂回したのではなく、公共交通に変わった

・モーダルシフトは効果的。同量の輸送をクルマとバス又はLRTと比較すれば、その差は歴然

・車線を削っても渋滞は起こらない。それは、日本、米国、ドイツ、イギリスなどの調査で実証済み。1路線たりと永続的な渋滞は起きなかった

・人は大きく行動を変えない、との前提でこれまで検討されてきたから、交通渋滞が発生してしまう、という想定から抜けられなかった

・一時的な渋滞は発生するが、それは調整プロセス上の一幕にすぎない

・地下の上昇率は京都の他の地区よりも高く、人通りも増えた

人は新しい環境に合わせて行動を変えるから、混乱しない。だから、渋滞を心配せずに、ぜひ、車線を削る工事を進めよう

 

 

こんな事が書かれている。

これは、国交省が先日、まちなかウォーカブル推進事業を創出する、との発表があったことも、その考えを取り入れているのだろうか。

車中心の街から人中心の街へと空間を変える事業に対して支援をしていく、との発表。

実際に空間再配分工事を実施となると、多くのハードルがあるだろう。

しかし、この章を読んで、ぼくが最も納得させられたのは、世界のデータを見せながら、その理由、つまり人は環境に合わせて行動を変える、という前提に立ってるから、渋滞する、という発想から抜け出せないんだよ、との論法はすんなりと腹に落ちた。

国交省のウォーカブル推進事業がどれだけ進むのかは、自治体の長にもかかっている気がする。

京都は断行したが、その他の自治体では、なかなかそう進まないとの思いが強い。

沿道の店舗なり居住者がどこまで協力するかにかかっている。

でも、さっきのイオンの論理で、長期的には街に良いことも、自分のことも考えざるを得ない個人は協力できない場合がでてくるだろう。

ここにも、恐ろしい総論賛成・各論反対の論法が大量発生しそうな予感。

 

また、現在のコロナ禍の状況は明らかにマイナス。逆向きのベクトル。

このご時世に賑わう?ふざけるな!と言われそう。

だけど、ホモサピエンスのDNAを受け継ぐ現代人は、おそらく賑わいを捨てられない。

 

もう一つ。

ウォーカブルな街も歩道を広げるというベクトルが働く。他にも、今は自転車を活用しようという動きがある。

このためには、自転車が通行できる空間が必要となる。

他にもLRTだ、となれば、さらにそれ専用レーンも必要となる。

何が言いたいかというと、限られた道路面積の取り合いになる、ということ。

でも、本当は、LRTや自転車に転換がなされた場合、クルマで移動するよりも道路必要面積は不要になるんだ、ということに、今回気づいた。

 

 

第4章

クルマを使わない、というライフスタイルの変化、行動変化を起こすことが必要

・行動変化させるには、構造的方略と心理的方略の2方面からのアプローチが必要

・構造的方略として、富山のLRTという90億円かけたハード整備がある

・富山の事例としてクルマからLRTへ、というモーダルシフトは約20万人

・富山はLRTにより、都市のコンパクト化を行った

・富山のLRTは既存路面電車のレールを活用し、最小の投資で最大の効果を発揮した

・通常、LRTは30億円/kmだが、富山の場合は延長11kmを90億円で整備

・富山の場合、2015年の北陸新幹線の開通により「首都圏 → 富山駅」 そして、」「富山駅 → 富山市内」のところでLRTが機能した

・クルマは日本の巨大産業である自動車産業によって供給され続けている。この市場原理の中で進められるクルマ社会に対抗するにはゲリラ戦しかない

・クルマ社会だけでなく、郊外の広大な住宅開発や大型ショッピングセンターなどの巨大資本、これはあくまで民間の市場原理によるもの

・巨大資本の民間に対する、地方政府の力はあまりに弱く、ゲリラ戦以外に戦う方法はない

 

この章も論理的な説明だった。

2章でクルマを締め出すことで地方が活性化することが述べられた。

3章では京都を例に、クルマを減らす手段として、車線を減らしても大丈夫ということが述べられた。

そしてこの4章でも、クルマを減らす手段として、LRTというモーダルシフトについて述べられつつ、現在のクルマ社会というものが、民間の市場原理によって、ごく当たり前の帰結として、起こった現象であることが示された。

しかし、民間の市場原理だから仕方ない、その中で生きていく方法を見つけよう、というものではない。

ゲリラ戦で対抗しろ、と言っている。

これを読んでぼくの感想。

日本にとってクルマ産業は最後の砦。ここが今、自動運転やCASE革命で脅かされているから、トヨタが焦っている。

郊外の大型ショッピングセンターにしても、イオンがやらなくてもアメリカや欧州が同じことをやるだろう。

自由競争、民主主義というのは巨大資本が勝つ戦い。

日本型民主主義として法律でそんなことが規制できるのだろうか?

もっともっと前なら、市街化調整区域への大型店舗の規制はできたかもしれないけど、今となってはもう無理だろう。

だから、ゲリラ戦ということなんだけど・・・つまり、もうかなり負け戦状況に追い込まれている、ということ。

驚いたというか、そこに目がいかなかった。

第4章でも、クルマ産業にとってみれば、郊外への出店も公共交通の衰退も、決して悪いことではない。

そう、公共交通とクルマは競合という側面があった。

だから、巨大なクルマ産業が公共交通を衰退させるために、この地方の衰退を狙って・・・ん〜そこまでいくと発想が飛躍しすぎかな・・・

結果的に地方を衰退させてしまったことは、おそらく負の遺産として、仕方のないものとして、捉えているのだろう。

 

 

第5章

・行動変化を促すための心理的方略として、マーケティングが重要である

・マーケティングやプロモーション、ブランディングは人々のライフスタイルに決定的、重大な影響を及ぼす

・タバコのCMがなくなり、若者のタバコ離れが起こった

・トヨタの広告費は4350億円/年間、自動車産業全体では、1.2兆円の広告費が投資されている

・トヨタは4000億円以上投資するだけの価値が広告にはある、とわかっている、ということ

・それに対し、政府や自治体の交通まちづくりマーケティング費用は皆無

・これでは、人々の行動変化を促すことは難しい

・地方を蘇らせたいと願うなら、富山のようなハード整備と京都のようなマーケティング戦略の双方で、モータリゼーションと対峙する気構えが必要

 

この章では、ハード整備のゲリラ戦に対し、人々の心の変化を発生させるための心理作戦について述べられている。

確かに、何を格好いい、と思うか。

これってすごく重要。

タバコを格好良いと思う、スポーツカーを格好良いと思う、ならば、人はそれに投資する。

本章で繰り返されていた、ラジオで放送された「クルマはほどほどに」というのも、サブリミナル効果がありそう。

他にも健康面や交通事故のリスクも、併せてPR?

どちらかというと、クルマ利用へのネガティブキャンペーンのようで、少しやり方が汚いようにも見えるけど。

これも地方が活性化することで、国全体の均衡ある発展(少し古い国土開発計画の表現)のため。

ん~自動車産業は、日本の屋台骨。

クルマと地方の上手い両立はできないものか・・・

 

 

第6章

・グローバル産業の中で勝ち残っている自動車産業を悪者にしては、かえって日本の経済を衰退させてしまう

・日本の産業を支える物流の大半はトラック。

・だから、道路整備、特に高速道路の整備は必要

・これまでのまとめとして、クルマを使うことで一定の便利さを享受する一方、それと引き換えに、自分の(=地域の?)所得を大資本家たちに吸い取られている

・自分の愛着のある地域が衰退し、自ら寂しく不幸な存在となる(ここは高齢化したときという意味だと思う)

・クルマを捨てる社会は、グローバリゼーションを後ろ盾にしたモータリゼーションの流れに逆行するので、勝ち目は小さい

・でも、あきらめるな。帯広市の黄色いバスの奇跡や和歌山県の貴志川線の猫の駅長・たまちゃんなど、戦略的に展開すれば道は開ける

・本来、クルマが入ってくるべきではない領域にまで入ってきたのが今の状況

・どこまでクルマを許すのか、その線引きをして、その両領域の接続を円滑にすることが地方活性化にとって不可欠

・地方政府は戦略的に交通まちづくりを展開し、中央政府は財政的、制度的に支援することが必要

・最高に便利な劇薬を使いこなせるように、クルマとの賢い付き合い方が求められている

 

 

第5章で心配していたクルマを悪者にすることは、第6章でしっかりフォローされていたので、本書への安心感が広まった。

でも、ぼくは少し違う考えを持っていて、地方を蘇らせるのに、新幹線整備は絶対に必要だけど、高速道路についての有効性がまだ分からない。

東京の一極集中を助けているようにも見えるから。

 

全体を通して、第6章は総まとめのような感じだった。

しかし、本当に怖いなと思った。

便利と思って使ってきたモノ(例えばクルマ)が、実は大事なモノ(例えば地域経済)を、ゆっくりゆっくりと、間接的に破壊に追いやっていったということ。

そして、それは、個人個人が自分のために動く、という個人のエゴを利用した大資本家たちの壮大で長期的な戦略に、まんまとやられているような気がしたから。

確かに、中心部のシャッター街化はモータリゼーションによるもの、というのは、どこかで聞いたことがあったし、それとなくは感じていた。

でも、本書のようにデータで示されると、ズシリとくる。

なんか、怖くなった。クルマ以外でもあるんじゃないか?と。

あのとき、〇〇をみんなが便利だと使い始めたから、十数年後に〇〇を失った、みたいなものが。

 

 

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