コロナ以降の世界はグローバル化の進展がいくらか緩やかになる。
きっと多くの人がそう見ていると思う。
この惨事は本当に今回だけのものなのか、今後も襲ってくるのではないか、そんなふうに考えだしたら、企業は怖くって世界とつながることに躊躇するだろう。
それにリスク管理の点からもグローバル化に突き進まない方が良いと経営陣が思っても不思議ではない。
とはいえ、まさか江戸時代の鎖国のような状態にはならないだろう、と皆思っている。
ぼくも思っている。
でも、本当かとも思う。
現在の世界は江戸の鎖国並みだよな、と。
いつまで続くの。仮にコロナが収束してもまた新手のウィルスが来たら・・・。
そんなとき、日本の食料自給率のことを思い出した。
そういえば、日本は食料の多くを外国に頼っている、というのを思い出したから。
もちろん、今は人流は制限されているが、物流は人流ほど酷くはない。
でも、少し食料について考えてみたい。
ググってみると食料自給率にも2種類ある。
カロリーベースの食料自給率と生産額ベースのそれ。
簡単にいうと、国民が食べる食事をどのくらい国内で生産しているのか。
それをカロリーで割合を出すのか、お金で割合を出すのかの違い。
ここがややこしくて、カロリーベースのとき、外国産の飼料を食べて育った豚などは、自給率に入れないとされている。
確かに、鎖国になると飼料が入ってこないから、今の外国産の飼料では豚を育てることはできないのだから、カウントしない、ということなの?
日本では野菜は比較的、国産が多い、が野菜は値段の割にカロリーが低い。
なので、カロリーベースで自給率をはじくと日本の食料自給率は低い、となる。
それが40%程度。
ちなみに、生産額ベースでみると70%弱。
しかし、どちらも世界標準からみたら低い方になる。
それでも、生産額ベースでみるとドイツとかと同じくらいなので、圧倒的に低い、という状況ではない。
どちらで見るのが適当かは分からない。
ただ、国際的には生産額ベースでみるのが主流らしい。
非常時、万が一、江戸の鎖国の世界がきたとき、一時的に生き延びるにはカロリーが必要なので、カロリーベースでみることによって、非常時のその国の置かれた状況が見えるのかと思う。
少し長話になってしまったが、まあ、どんな取り方にしても食料自給率、日本は他の先進国と比べても低いということ。
そして、食料自給率が低ければ、鎖国状況下では食料が十分に届かず、パニックになる可能性がある、ということ。
何度も言うが、今回のコロナでは、あくまで海外渡航禁止など人流の制限であって、戦時下のように物流が止まっている訳ではないので、あくまで妄想。
さて、食料自給率が低いということが、暮らしにどのような影響を及ぼしているのかメモっておく。
まず、農業、ここでは畜産や酪農も含めて広く農業という意味だけど、この農業はインフラですか?
インフラとは生活に必要な基盤、道路からガス電気、上下水、鉄道、その他の物流網、今ならスマホの基地局、いろいろある。
ガソリンスタンドやコンビニもインフラと捉えても良いかも。では農業は?
ここで難しいのは、道路や上下水道といったインフラは国や自治体が管理をしている。
でもガスや電気、鉄道のようなインフラは、例えばJRなんかは民間企業だけど、国鉄からJRになったものの公的要素が強い。
スマホの基地局、コンビニは完全に民間管理。では農業はどうなのか?
農業生産額に対し政府の農業予算の割合のデータがある。
少し古く2005年のデータだけど、アメリカは65%、スイスは62%、フランスも44%に対し、日本は27%。
これは、穿った見方かもしれないが、アメリカなどは農業をある意味、公共事業的な産業と考えている、とみることができる。
仮に安全性が担保された農産物であっても、諸外国から安い農産物を購入すれば良い、とは安直には考えていないということ?
それとも、農林族議員のようなものが力を持っているのか?
農業従事者は選挙の大票田なので農業予算を削れないのか?
本当のところは分からないが、自国の農産業を守ろうとしていることは確か。
政府は国民が少しでも安く食料品を購入できるよう仕組みを作る、それも税金を投入せず。
それならば、外国から安く安全性が確認された食料を輸入することが、効率的なのは間違いない。
しかし、食料というものを国家の支配が及ばない他国に依存するというリスクは残る。
効率性を求めれば安全性が逃げていく。
これも、バランス、と一言で片づけて良いとは思えない。
ここで、藤井聡氏の著作『インフライノベーション』(育鵬社)という本では「人間は限られた需要をエサに、皆で分け合いながら暮らす生き物」と、とてもどっきりする表現がでてくる。
なるほど。この考え方には、とても驚いた。
食欲という需要を誰が供給するのか、その供給者が儲かるような仕組みに、この世の中はなっているということ。
そうなると、今の現状は国民が安い農産物を購入できるようにすることを最優先することにより、外国に儲けさせている、状況になってしまっている、ということ。
国民が儲かるようにするには日本人に農産物を生産させなければいけない、のだけど、そうすると消費者はコスト高を許容しなければいけない、のだが・・・。
ちなみに本書では、H27年の農産物の純輸入額(輸入額ー輸出額)は6兆円。
つまり6兆円を外国に儲けさせていることになる。
経済には乗数効果という連鎖反応的に働く効果もあるので、結果10~15兆円の効果を外国にくれているようなもの、としている。
そのため、政府が税投入して農家を支え、農産物の価格高騰を抑えることが必要だと書かれている。
世界は一つ、人類皆兄弟的な発想の場合、安いところから仕入れる、ということは理に適っているのだが、現実的には誰も人類皆兄弟とは思っていない。
平和な世の中でこそ成り立つ理屈。それは国家間のいざこざもなく、今回のようなウィルスも存在しない世界、である。
そういう世界ではないなら、税投入してでも国内の農家が生産する農産物の価格を押さえつつ、国内の所得が10~15兆円増加する手法をとったほうが良いとも思うのだが。
ただ、詳しいデータがなく比較が出来ないのでどっちが正解か、ぼくは分からない。
これは俗にいう小さい政府、大きい政府の違いの話し?
いやいや、アメリカは小さい政府だけど、農産業に多くの国家予算を投入しているし、きっとそんな単純な話ではないはず。
さて、日本の農家の置かれている状況を調べてメモりたいと思うが、それはまた次回。