今年初の台風1号から防災について思いを巡らすメモ

先週末に台風1号が発生した。

日本に近づくまでには熱帯低気圧に変わるとの予報だったけど、今年も台風の季節が近づいていることを思い出させられた。

なので今日は、台風についてメモりたい。

今だったら、避難所の3密対策を考える必要があるところだけど、やはりぼくのブログではインフラについてメモりたい。

 

 

まず、日本は災害の多い国との印象がある。

それは事実で、過去の防災白書によると、世界で発生しているマグニチュード6以上の地震のうち、約18%が日本周辺で発生しているらしい。

これは、日本が4枚のプレートに囲まれていることから、地震が大発生しやすい複雑な力が集まっている場所である、ということ。

ただ、地震だけでなく台風被害も毎年のように発生している。

台風だけでなく、最近は線状降水帯なるものも発生し、各地で大規模災害を頻発している。

そんなこともあって、現在、総額7兆円におよぶ「防災・減災・国土強靭化に関する3か年計画」にもとづく対策が実施されている。

今年が3か年の最終年度。

 

 

近年の災害についてみてみたい。

最近でいえば、平成30年7月豪雨だろう。

これは岡山県の倉敷市、小田川の堤防が決壊して広域にわたり浸水被害をもたらしたもの。

平成30年西日本豪雨の名称の方に聞き覚えのある人も多いはず。

死者も200名を超える、近年ではまれにみる大惨事になった。

 

 

この災害については、とても悔しいと思ってる人も多いはず。

それは、小田川に流れ込む支川を現在の地点より、下流側に付け替える計画が2014年から着手し、実際に2018年から着工する段階にきていた矢先のことだったから。

この工事が竣工していれば、小田川の水位を5m程度、低下させることができていた、という。

5mも水位が低下していれば、堤防が決壊することもなかっただろう。

なんともやるせない気持ちになるのは、建設業界の人だけではないはず。

 

 

そのほかにも、近年は特に水害が多い。

平成28年8月豪雨、広島市で発生した土砂災害。

こちらも死者70名を超える大惨事となっている。

この災害においても、砂防えん堤を整備してある箇所は土石流が発生しておらず、大きな被害から免れた、という報告がある。

 

 

これらのことから言えることは、治水インフラは確実に機能する、ということ。

特に近年、雨の降り方が激甚化している、といわれている。

このような状況になった以上、治水インフラの整備の費用対効果というのはこれまで以上に高まっているはずである。

 

 

しかし・・・ほんとに、損な国土だと思う。

こんな災害の多い国でなければ、もっと経済発展に資する対策に投資できていたかもしれない。

ダムや道路といったいわゆる公共インフラだけでなく、デジタル先進国になるための投資だって出来たかもしれない。

災害に対抗するための砂防えん堤や堤防の耐震化は、重要ではあるけど、マイナスをゼロにする効果はあっても、社会にイノベーションを起こすような投資、と考えることは難しい。

かといって、このように災害が頻発する以上、もっと経済発展に資するモノに投資したい、と言っても、まずは命を守ってよ、そっちが先決でしょ、となってしまう。

 

 

 

ただ、ぼくは、この世には無駄というものはない、とも思っている。

確かに、災害の少ない国では、もっと経済発展に寄与するインフラ整備に予算をかけられるとは思う。

災害のない国と比べると、とても無駄な投資をしている、と捉えることもできる。

それでも、ぼくは無駄なモノはないと思っている。

特に災害時においては、無駄、と思われていたものほど役に立っている。

 

 

少し話がズレるけど、日本では自動運転が当たり前の世界になっても、一家に一台のクルマは保持しておいた方が良い、と最近は思っている。

いざ、災害が起こった時に、電源装置にもなるし、暖を取ることも、居住空間になることもできるから。

自動運転が当たり前の時代になったとき、無駄と思われていた自家用車が、災害時に人々を守ってくれると思うから。

 

 

 

おそらく、砂防えん堤にしろ堤防の耐震補強にしろ、台風や地震が来なければ、その存在意義を知らしめることはできないだろう。

そう、無駄、と言われる代物。

建設業界と族議員が利権でつながっている、癒着だ、官製談合だ、天下りだ。

マスコミが視聴率を稼ぐために大騒ぎ。

結果、人の命を奪い取ることに加担しているとは、マスコミの人自身が気づかない。

土砂崩れがあって始めて、砂防えん堤のありがたみを思い知る。

 

 

でも、確かに災害がなかったら防災インフラの価値を分からせることなどできない。

もっというと、砂防えん堤があるところとない所があって初めて、その有難みが分かる、ということ。

それだけ人間はおろかで、真実が見えない、ということ。

 

 

こんな生意気なことを書くぼくも、その昔、とても恐ろしいことを考えていた時期が長くあった。

どんなことかというと、災害のためのインフラ整備を全国でやめてしまったらどうか、ということ。

それによって、毎年何兆円というお金を、もっと違う経済発展に直接、資するするような事業につぎ込んだら良いのに、と思ったことがある。

ぼくが建設業に身を置くようになったばかりの頃からしばらくはこの考えが続いていた。

そうなると、毎年、災害があちこちに起きることになるかもしれない。

それでも、それはそれで良い、と思っていた。

被害があった人らには気の毒だけど、日本全体を見たときに、もっと違うところに予算をつぎ込んだ方が全体が発展する。

結果、日本全体が良くなる筈だ、と思っていた。

被害があったところは、もう住まない。

人間が自然に対抗するのではなく、その土地から逃げる方が良い。

それを徹底していけば、長い年月をかけて、インフラにお金をかけなくても良い社会ができあがる。

そう思っていた時期が長くあった。

だから、堤防の護岸工事をやっていても、とても無駄なことをやっているな、と思いながら丁張をかけていた記憶がある。

 

 

それが、ぼくも人の親になり、この世界にどっぷりと浸かり、テレビで流れる被災地の映像に心を痛め、土木学会の南海トラフや首都圏直下型地震の被害想定を金額ベースで見せつけられるに至って、徐々に考えが変わっていった。

災害にやられながら、生き残った人が逃げ続けて、100年先にインフラに強い日本を作る、ということは現実的ではない。

100年先の人ではなく、今、生きている人が幸せに暮らせるようにするべきである、と。

土木を捨て、100年先に望みを託すのではなく、今の人たちの暮らしを守ることが必要で、それが土木にはできる、と思うようになった。

もちろん、土木学会の被害想定を金額に換算したデータの威力も大きい。

 

 

そんなわけで、かなり話が個人的なことになってしまったけど、防災インフラ整備は今後も続けられていく。

なぜなら、気候変動により人間が暮らしにくい地球環境になっていくから。

まず、一般に滝のように降る雨、と言われる時間50mmの降雨、これが今世紀末には、現在の2倍以上の発生回数になる。

さらに、年降水量は渇水傾向にある、というトンデモ現象。

集中豪雨が増加する一方で、異常少雨の出現数が増加するという喜劇のような現象がおきている。

これらはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書である。

それだけではない。

IPCCの報告書によると、今世紀末には平均地上気温は0.3~4.8度の上昇。

海水面は0.3~0.8m上昇。

これは、東京、大阪、名古屋という三大都市のゼロメートル地帯において、仮に0.8mの海面上昇があると、面積6割、人口4割が海面以下になる、というレベル感の危機。

 

 

これらの危機から、治水インフラ、利水インフラ、海岸堤防等の整備はぼくらを守ってくれる。

これらは、マイナスをゼロにする対策。

もったいない、と思うけど、これは仕方がないこと。

だからこそ、生産性革命が求められている、ということかと思う。

 

 

でも、他の国では、そこまで切羽詰まって生産性の向上に取り組んではいないだろう。

この生産性向上に死に物狂いで取り組むことでら他の産業においても、イノベーションが生まれる、と思っている。

これが、ぼくが思う、この世に無駄なモノはない、と思う芯のところ。

 

 

防災のことで書き始めたのに、結局、最後は生産性革命に結びついてしまった。

なんといっても、これから台風の季節、用心しようがないけど用心しなければ。

 

 

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