新聞記事を読んでもコロナ禍のことを書いていない記事の方が珍しくなってきた。
そりゃそうだろうな、と思う。
だって、コロナ禍の影響を受け続けている現在進行形の状態に対し、コロナ禍を無視した記事を書いても、読み手もその記事の妥当性を感じられないだろうし、書き手もコロナ禍によって、今後大きく変わるだろう社会に対し、空々しくて書いていられない、という心理状況だと思う。
だから、アフターコロナを見据えた記事以外、書けない。
これから社会が激変するのが分かっていて、これまでの延長線上での出来事はかけない。
つまり、これから社会システムが大きく変わる真っただ中にぼくたちがいる、と皆が思っているということ。
今日は、コロナによって人々の価値観も変わるのかもしれない、という話。
社会資本整備についての話。
近年、国交省はウォーカブルな道づくりを進め、パークPFIという制度を作ってより公園を柔軟に使いこなそうとし、河川法を改正してレストランなども河川区域に作ることができるようにするなど、賑わいづくりに注力し始めている。
これらは都市再生特別措置法という法律と両輪で機能していくものとしている。
人々を密集させ、密接に語り合い、楽しむことでまちに潤いを与え、賑わいをもたらし、まちが活性化するというスキームであった。
これまでのような、道は単に通過できれば良い、というものではない。
例えば、公園でコーヒーを飲みながらおしゃべりをしたり、河川敷でライトアップされた夜景を見ながらお酒でも飲んでみたい。
そんなことが、安全性を担保しながら、規制法、管理法を乗り越えて、やっとここまで進んできた矢先だった。
この先、コロナはどのくらいで収束するのか。
まさか半年程度で収束するとは誰も思っていないだろう。
なんせ、完全に収束するには全国民の大多数が罹患するか、特効薬やワクチンが出来なければ、収束するはずがない。
仮に収束してもそれは一時的なもので、気をゆるめれば、つまり賑わいが復活すれば、すぐにパンデミックが起こる状況がしばらく続くとみる。
また、コロナのワクチンが出来ても、毎冬、違う型のコロナが流行れば、やはり特効薬ができない限り、完全な収束はない。
そして、また数年後にコロナとは違う、新新インフルのようなウィルスが流行るかもしれない。
こんな事を繰り返していくと、人々の価値は変わっていくと思う。
まず、グローバル化から鎖国化へ向かう。
もちろん、江戸時代のような鎖国はないが、これまでのようなサプライチェーンの多くを海外依存のようなシステムを組まなくなる。
そして、必ずしも、人々が集まって賑わうことが善とはならなくなる。
人類は太古から集まり群れ行動をしてきた、人類はトラとは違い狼型の集団で行動することで繁栄してきた。
だからこそ、賑わうこと、そのものが人々は好きだった。
何か面白い仕掛けがなくても、人々が集まっている状況そのものが好きだった。
だからこそ、規制法あり管理法ありの道路、公園、河川であっても、何とか賑わいづくりを進めたいと人々は躍起になっていたのだ。
一長一短にウォーカブルな道づくりや賑わい溢れる公園整備が中止になるとは思わない。
でも、これまでのような諸手を挙げて賑わい作り、とはいかなくなるのではないか。
と、考えながらブログを書いていたのだが・・・やはり変な気がしてきた。
今日は価値観が変わるのではないか、というブログを書くつもりでここまで書いてきたけど、なんか違うような・・・。
確かに、賑わえば密集、密接は生じる。
でも、ライブハウスやアリーナのような密閉空間ではない。
あくまで、ウォーカブルな道も、カフェのある公園も、カクテルの飲める川辺も、すべて屋外。
そんなにリスクが高いとは思えない。
そう考えると、ここまでブログを書いてきて申し訳ないと思うが、少し記事の方向を変えたい。
やはり、ストーリーを考えずに書き始めるとこうなるのか・・・。
かといって、しっかりと決めてから書き始める方法では面倒で続かない気もするし。
藤井聡氏の著書『インフライノベーション』(育鵬社)という本を昔、読んだことがある。
川を活かしたまちづくり。
人間はパンのみに生きるにあらず。
これは、現在の河川行政を揶揄した表現で、安全性を過剰に厳格運用したことにより、皮肉った言葉。
殺風景な都市においてオアシスは少なく、人々は自然と触れ合いながら食事をしたくなるもの、と書かれている。
かつての日本には、諸外国のように川辺がレストランやバーのように活用されていたらしい。
そう、今、コロナ禍では危険な場所の代名詞のように言われるようになったバー。
昔の日本には川を見ながらお酒を楽しむ習慣があった、という。
それが鴨川の川床であり、東京の屋形船である。
しかし戦後、日本が近代化し、行政による河川管理が厳格に運用されるように見られなくなった光景と論じられている。
これが今、法律的に可能になりつつある、というのがこの本のテーマだったと記憶している。
普通に聞いていると、良いことだ~と思う。
ただ、少し考えてみると、私有地ではない公共空間である河川区域の上にレストラン営業を許すことになる。
土地を格安な価格で一部の飲食店に融通する行為ともとれる。
これは、公平性が求められる行政に困難なことだった。
確かに、ぼくから見ても、あいつらだけズルいという感覚、理解はできる。
確かに良いシチュエーションのところで、しかも公共の土地を借りて、利益追求を行う営業行為を行うなんてズルいということだろう。
でも、そのおかげで、その地域一体の盛り上げに寄与しているのだとしたら?話は変わってくる。
一社だけが儲かれば良い、ではダメだけど、地域一体が利益を享受できるなら、それは多くの人に得をもたらすことになる。
それでも、ズルいという人はいるだろう。でも、誰も損をしていない。むしろ、多くの人が喜んでいる。
それでも、ダメだ、という人は、自分が損してでも、相手に得をさせたくない性分の人。
ぼくらは、そういう人たちが一定数いることを理解して、占用させてもらう立場になることを目指すことがもめられる。
全国的にも有名になったけど、大阪府の北浜では、河川区域にレストランが立ち並び、夕方には川を見ながらお酒を楽しむ風景が見られる。
普通に考えて、あいつらだけ公共の土地に店を出してズルいという声を抑え、占用の許可を取得するには、行政に対し強力な圧力をかけ続けなければ実現しない。
役人に効くのは政治家の参入である。
これを良しとするか悪ととらえるか。これは人それぞれ。
ただ、このようにしてまちが発展していくと、賑わいが生まれ土地の価値があがり税収があがり、その恩恵は広く広範囲に及ぶ。
このエリアは行政の土地を利用して川沿いにオシャレなレストランやバーを営業することができる、という優位性は非常に大きい。
そのため、民間投資が活発に為され、その周辺の土地の価値が高まっていく。
これがストック効果というものであり、良質な民間投資ということになる。
少し河川法の勉強がてらにメモ。
1896年(明治29年)水害の防止に力を置いた河川法が作られる。このときの目的は治水
1947年、戦争直後に河川法が作られる。この法律の目的は利水。飲み水、工業用、発電用に利用するための法律。
1964年、洪水が頻発するようになり、治水に重点化するかたちで法改正。
1997年、環境に配慮するようになり、環境面での法改正。ここにきて、河川法に川を楽しむ、という思想が取り入れられるようになる。そう、鴨川の川床などは江戸時代のはなし。江戸時代の方が民度が高かったのかもしれない。
1999年、河川空間を一部の施設においては占用することができるようになった。
2000年代、都市再生特別措置法の考えから、許可できる施設が柔軟に考えられるようになっていった。
藤井聡氏の著作『インフライノベーション』(育鵬社)という本では、大阪市の土佐堀川の「北浜」が事例として挙げられていた。
この北浜エリアでは河川区域にお酒の飲めるレストランが占用許可されている。
ここでは、川遊びもどこかパブリックな要素を宿すものだった、としている。
この地は依然はホームレスが寝泊まりするところだったという。
これは、賑わいを重視して法解釈を変えていく、というソフト対応がありつつ、ハード対策も必要と論じている。
河道改修により川幅を広げたり、貯留施設や地下河川を整備して、それらを総合的に活用して、水位が一定の高さを超えないようコントロールするための河川技術とが両輪で機能して始めて可能となるものだという。
活用されていない川辺空間は日本中にある。
この空間をうまく活用して、第二第三の北浜が広がることを期待している、と本書はしている。
ぼくら建設業に身をおく人間は、コロナ禍で失った活気を取り戻すための基盤を作ることができる。
とこのブログを書きながら思い始めてきた。
東京の街の発展は目覚ましく、地方の人間からすると、ある種の憧れを持って見てしまう。
別に昔の日本はもっと穏やかで良かった、と感傷に浸る気はない。そこに正当性はないから。
でも、昨今、公園が大賑わいだという。
休日は、家族がシートを引いて、公園でお弁当を食べている姿を見ると、何だか微笑ましく見てしまう。
戦後、行政により公園が全国に作られてきたおかげで、コロナ禍においても子供や大人も含めて数少ない憩いの場として提供されている。
ウォーカブルな道、オープンカフェを可能にした道路法改正など、こういった取り組みは、きっとアフターコロナの世界において、よりその価値を高めていく、と思い始めた。
今日は逆の気持ちでブログを書き始めたけど、結局、こんな感じで落ち着いた。
一件落着。