公園の閉鎖の功罪

公園の閉鎖が相次いでいる

テーマパークの閉鎖は分かる。

映画館も分かる。

イオンの専門店街も分かる。

 

だけど、公園は違う。

公園は閉鎖してはいけないと思うのだけども。

 

政府は声を大にして言うだろう「国民の安全を守るんだ!コロナ感染で死者を出さないことに全力を注ぐ」

 

このとおり喋った訳じゃないけど、仮にそう言ったとしても、ごく普通に聞こえる。

そりゃそうだ、と思う人も多いだろう。

でも、違うと思う。

国民の安全を守る、までは良い。

でも、その次が良くない。

コロナ感染で死者を出さないことに全力を注がれたら、コロナ以外で新たに、コロナ感染以上の死者を出すでしょ、と言いたい。

 

例えば、高齢者がゲートボールを唯一の楽しみに生きているとしよう。

その高齢者のゲートボールを奪ったら、それによって死に至る病にかかる人も出てくると思う。

園児や小学生から、公園を奪ったら、健全な発育、心の安定を奪い、果てには生活が荒れてしまう子も出てくると思う。

それはある意味、普通に暮らしていくはずだった、その子の人生を殺したようなもの。

そして、それは、日本という国家、社会にとってものすごい損失になる、と思ってしまう。

 

じゃ、どうしたら良いのだ?

公園を開けるしかない。

 

公園で家族でピクニックをするぐらいは良い。

そこに、何家族も集まってお弁当を広げ始めると良くない。

 

じゃあ、それを誰が取り締まるのか?

もう、それは役所しかない。

公園管理者である県や市町村になる。

そこの役人が1日中、見張るしかない。

足りないなら、委託でガードマンを雇って、あたるしかないだろう。

だって、スーパーも入店規制をしている。

そうなると、委託業務の範囲を超えている、との声もあがるかもしれない。

公園利用者に規制をかける行為は民間のガードマンでは無理だ、というかもしれない。

いや、要請すら法的に委託は難しいというだろう。

それなら、ガードマンに見張らせて、注意するときに職員が出向く、などの方法しかない。

いずれにしても、国民、県民のために公園は開け続けるしかない。

おそらく、大きい自治体になると、都市公園は1000か所近くに上るはず。

その中でも、本当に人が密集する公園になると絞れるはず。

 

今、インフラの有難みを伝える絶好の機会なのにな、と思う。

でも、役人は動かないでしょう、多分。

そんな、1日中、公園で違反者を注意しつづけるような面倒なこと、役人は普通はしない。

そうなれば、自治体の首長あたりが命令を出すしかない。

 

後、高齢者がゲートボールしてたら密集じゃないのか?

それについては、ゲートボールをしてるだけなら、それは良しとする。

もちろん、それによって感染者が出るかもしれない。

でも、感染リスクをゼロにすることによるリスクの方が大きいということ。

 

ここで、自己責任論。

この、自己責任論も、どこまでが自己責任でどこまでが国家がコントロールすべきかの線引きは難しい。

だから、そこは首長が政治生命をかけて動くしかない。

 

巣鴨の商店街はどうなんだ?

ゲートボールは良くて商店街はダメなのか?

公園の家族単位のピクニックは分かったけど、ゲートボールだダメなのか?

ゲートボールは家族という単位を超えて集まるんだから、などなど。

もう、答えはないから首長がもっている哲学が県を動かすことになる。

 

でも、首長には、そんな哲学はないか・・・。諦め。

自粛しろと、そうおっしゃってる首長さんらは、しっかりと、これまでと同様の活動をしている。

誰も、家の中で閉じこもってなんか居ない。

本当に、家の中にこもっていたら、ぼくは多くの人が鬱になってしまうと思う。

簡単に言わないでよ、と。

それなら、実際に1カ月間、家の中で閉じこもって経験してください、と。

 

ようは、公園なんかを閉鎖したらダメ、ということ。

閉鎖しなくて済むような対策を執るべき、と言いたいのである。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*

CAPTCHA