寄付文化とクラウドファンディング

本日の日経新聞の記事よりメモ。

最近は自らの技術士の勉強の記事ばかりになっていた。

元々は色々記事にすることで、世間の動き(特にインフラ関係)に自分なりの考えを持てるようにすることだった。

いつの間にか、勉強記録メモのようになっていた。

勉強記録も大事だけど、原点に戻り、今日はすこし雑ネタで書いてみよう。

 

 

今日の日経新聞の記事に「コロナ禍で寄付文化は成熟するか」というものがあった。

要約すると、

・劇団四季がコロナ禍で活動自粛をしていた損失のための寄付を募ったところ2億円集まった

・日本の寄付文化は文化芸術などの分野では50万円集めるのも大変だったのに、変化のきざしが見られる

・今後は自治体や政府が主催する巨大イベントにもクラウドファンディングが活用されるだろう

・日本は個人が助けてと声をあげにくい、それは、支援を受ける人とは違う著名人が呼びかけて成功するパターンが多い、ところに現れている

・日本では、みんな大変なのに自分だけお金をくれ、というのは気が引ける、という心理が働くからである

・しかし、ある美術館はコロナ禍で落ちた収支改善のため運営資金をクラウドファンディングしたら、目標額500万円を6時間で達成

・劇団四季やこの美術館の成功は、日本の寄付文化を阻んできた、自分だけ助かるのは・・・の社会から脱皮する一つの突破口になるか

 

というもの。

つまり、日本は寄付文化がなかったところ、最近は変わってきたよ、といっている。

 

 

クラウドファンディングとは、簡単にいえば、見返り付きの寄付。

ただ、見返りだけを期待したら損をするので、そこに寄付したい、助けたい、自ら参加しているんだ、と思わせる何かが必要。

日本では昔から、動物愛護団体には寄付が多く集まる、と聞く。

かわいそうな動物を救おうとしている団体を応援したい、という気持ちを抱く人は多いから。

また、震災などでも寄付は集まりやすい。

 

 

ただ、劇団四季のような文化芸術のジャンルでは、これまでは寄付は集まらなかった。

それが集まるように変わってきた、というもの。

それは、寄付しやすい仕組みも出来たし、寄付してもらいたい人も簡単に申し出を行える場が整った、ということ。

すべてインターネットで完了する。

寄付してほしい人と寄付したい人をマッチングさせる場(プラットフォー)が作られたからである。

 

 

プラットフォームを作った企業は寄付が集まろうが集まらなかろうが儲かるのだから、どんな分野でもプラットフォーム企業が強い、といわれるのだろう。

その代表格がアマゾンなどのEコマース企業。

 

 

 

話が逸れた。

新聞記事では、そのプラットフォーム企業として、キャンプファイヤーやレディーフォーなどを挙げている。

ぼくは2社とも名前を聞いたことはあった。

特にレディフォーの社長は確か女の人で、頻繁にネット動画などにも出ているが、まだかなり若そうだった(イメージ)ので、記憶に残っている。

 

 

 

クラウドファンディングとは単純な寄付ではない。

リワードという見返りがあるのが通例。

それは劇団のような団体なら、例えば特別公演のチケットだったり(もちろん、チケット以上の額の寄付が前提)

場合によっては、ちょい役で出演させてもらえる券のようなものかもしれない(勝手な想像)

とにかく何らかの見返りがあるものが多い。

そのうえで、その劇団の演劇に感動した(心を動かされた)人は、何とかこの劇団を守りたい、という心理が働く。

そのうえ、非売品の返礼品ももらえるし、という感じだろう。

 

 

ふるさと納税もある意味、クラウドファンディングである。

株式投資はどうだろう。

本来の株式投資は企業の応援というものだろう。

そう考えていくと、どんどん広がる。

売れない芸能人のディナーショーはどうだ?

あれも応援したいという人が、少しの見返り(歌を聞く)で、大金を払っている。

大きな考え方は同じだろう。

 

 

お金を稼ぐ、ということがサラリーマンをしていると見えないけど、世の中を少し俯瞰してみると面白い、仕組みで動いているのだと分かる。

さて、ぼくのブログのテーマであるインフラ分野においても、クラウドファンディングは成り立つのか?

実は、様々自治体もインフラ建設などにクラウドファンディングに挑戦している。

概ね失敗である。

お金が集まらない。

もちろん、公務員というお金儲けのアマチュアがやっているから、ということもあるだろう。

 

 

 

もう一度、考えてみよう。

寄付する側の心理として、大事なもの。

 

そのチャレンジ(インフラ整備などの取り組み)に対して

・共感できるかどうか

・説得力があるかどうか

・寄付者が参加しているという意識をもてる取り組みかどうか

・返礼品に特別感があるかどうか

といわれている。

上記を全て満たし、それが寄付額と比べて、どうか、ということ。

 

 

そう考えたとき、インフラ整備というものは、本来、国なり自治体が行うものだろう、という思いが根底にある。

さらに、インフラ整備に共感する人も少ないだろう。

環境保護政策であれば、共感する人はいても、道路整備、ダム建設、下水管修繕などに共感する人は少ない。

説得力のある説明は・・・防災と絡めることでできるかもしれない。

インフラには多用な効果があるので、説得力はあると思うが・・・

寄付者が参加している意識、これもクラウドファンディングには必要と言われている。

小さな劇団であれば、それこそ寄付者たちが集まって役を演じ、それにプロの演者も参加する、なんてこともできるかもしれない。

インフラ整備は危険性を伴うものが多いので、そうそう簡単に参加できるものではない。

公園の花植えくらいだろう。

最後に返礼品は何があるのか?

護岸整備であれば、水害から安全に暮らせるというものがあるが、それは返礼品にはならないだろう。

本来は返礼品と考えても良いとは思うけど、実際には、返礼品とは感じられないはず。

さらに、フリーライダー(ただ乗り)が多すぎる。

そうなると不公平感が強すぎて、寄付者が思いっきり損をした気分になるだろう。

 

つまり、そんなこんなで、今のところ、インフラ整備やインフラメンテナンスにはクラウドファンディングの成功事例を見たことはない。

そもそもインフラは税金で整備すべきもの、という思いが強い。

だからこその公共事業なのである。

公共事業という意味を考えればわかること。

一方、劇団四季などは絶対に公共にはならない。

すべても者に便益があるものではなく、そこに感動するもののみ必要とするものなので、税金投入はできない。

そう考えると、やはり、公共事業であるインフラ関連は、クラウドファンディングと最も遠い存在なのかもしれない。

もし、インフラ関連でクラウドファンディングを成功させるシステムが作れたら、どんな分野のクラウドファンディングでも成功できるのではないか。

とても残念な思考の結果ではあるが。

 

 

 

 

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